金メダリスト羽生結弦選手とベガルタ仙台

日本時間2014年2月15日未明に行われた、ソチ五輪の男子フィギュア・スケートで、19歳の、我らが羽生結弦選手が、初出場で見事金メダルを獲得しました。おめでとうございます。本当にうれしいですね。

さて、ベガサポには説明不要ですが、勝手に「我らが」と言うのは、羽生選手がユアスタ仙台のある仙台市泉区で生まれ育った、というだけでなく、ベガルタ仙台と浅からぬ縁があるからです。

羽生選手は、2回ユアスタに登場しています。

最初は、2010年11月14日、羽生選手が世界ジュニア・チャンピオンになった年ですが、30節の対磐田戦のキックインに登場してくれました。。ベガルタは苦手の磐田に3-0と勝利しました。

30節対磐田3-0快勝、赤嶺、太田、斉藤のお膳立て奏功


次は、2011年3月12日、震災で幻になった対名古屋、ホーム開幕戦
四大陸選手権で、史上最年少の銀メダルとなった、羽生選手のお祝いセレモニーが予定されていましたが、震災により試合自体が中止で、セレモニーも無しになってしまいました。この記事はプレビュー。

第2節対名古屋、12日(土)16時、ユアスタ仙台


そして、まだ震災から間もない、2011年5月28日(土)対横浜FM戦、四大陸選手権で、史上最年少の銀メダルを獲得した、羽生選手が、上下ベガユニで登場。2回目のキック・インをしてくれました。

13節対横浜FM1-1、赤嶺先制ヘッドも、後半追いつかれる

この頃は、ベガルタの選手、サポも必死になって、いろいろなことと戦っていた頃でした。羽生選手は、自身も被災しながら、練習度外視で、チャリティ・アイスショーに出まくり、被災地のためにと滑っていた年です。


その後の羽生選手の成長、活躍は、ご存知のとおり。ベガルタのレプユニを着たら、それはもうベガサポ。ベガサポの金メダリストというより、共に震災の後を戦ってきた、「戦友」と言っても、いいのではないでしょうか。おこがましいかもしれませんが。


SP世界最高得点をたたき出す技術を磨き、失敗しても立て直す精神力と、体力を見せ付けての金メダル。
フリーでは、羽生選手も銀メダルのチャン選手も、ほとんどの選手がジャンプを失敗し、流れを崩しています。その中で、演技構成を崩すことなく立て直し、しっかりと流れを作って後半のジャンプを決めたのは、世界一にふさわしい。そして何か教わることの多い試合でした。


今や、七北田(ななきた:ユアスタ仙台界隈の地名)の星ではなく、世界のYUZURUになって、おいそれと時間も取れないでしょうが、セレモニーなどで仙台に戻ることもあるでしょう。
ここは会社はじめ、関係者が調整して、是非、羽生選手に金メダルを持って、ユアスタに来て頂けるように、ご努力願いたいと思います。

羽生選手、本当におめでとうございます。待ってますw