スローガン・サッカーからの脱却

北京五輪女子サッカーで、決勝進出を狙った、「なでしこジャパン」が、アメリカに2-4で敗れた。まだ3日後にドイツを3位決定戦がある。疲れているだろうが、少しでも疲労を取って、がんばってほしい。

この試合、最大の敵は相手やモチベーションではなく、「疲労度」だと思ったが、やはり準々決勝の中国戦のような動きはできなかった。人もボールも動くサッカーを体現している「なでしこ」も、中2日の連戦となると、スピードや対人での粘りに翳りが出てくる。動きは少ないが、アメリカの力強いロングパス、シュートに対抗できなかった。

やっぱり、男女とも、体格差やパワーの差はいかんともしがたい、それを補うための、「人とボールが動くサッカー」だ。つなげ、つなげ。果たして、そうなのだろうか?


元々完全無欠な戦術など存在しない。大柄な欧米選手にスピードやスタミナがない、とでもいうのだろうか。単純に考えても、相手も同様の戦術を取ってきたらどうなるのか。矛と盾どちらが強いか。最後は個人の力の差である。そして、ゲームの中で選手は疲労・消耗していく。選手はサッカーゲームの駒ではないのである。つないで崩すところ、ロングフィードからフリーで走らせるところ、チャンスを作る引出しは多い方がいいに決まっている。

一方、CLで優勝したスペインやメッシなど小柄な選手でも、個人で勝負できる選手もいるのが、世界の状況。何が違うのか。色々あるだろうけど。むしろ個人の力で局面を打開できる何かを持っているから、小柄な選手でも生きていけてるのだろう。

個人の強さが十分でないのに、「人とボールが動くサッカー」だけを頼りに、金科玉条のプレイを続けていても、突破できない。チェンジ・オブ・ペース、そして1対1での駆け引き(特にゴール近くで)、この鍛錬がないと、戦術はただのスローガン、パスを回して終わり、になる。


型にはめて戦術を徹底するところと、場面に応じてそれを崩せる共通理解というか頭の柔軟さ、体力差を補う1対1での駆け引き、それらが揃って初めて対抗できる。
なんとなく、はやりの型を練習していると、それだけで強くなったような勘違いは捨ててほしい。相手がひとりなら抜き切る自信、個の強さ無しに、スローガンだけでなんとかなる時代ではない。これはベガルタの話。