共通の目標で、ひとつに

■先日、ある方から、「最近マヴォイは監督の批判ばかりしている。戦術が嫌いなのか。徒にチームとサポの間に不協和音を立てて、バス囲みや罵声を呼ぶことにならないか。チームをひとつにするべきではないか。」というメールを頂きました。

■まずこちらを読んで下さい。読むのが嫌な方は、以下の抜粋だけでも、ゆっくりと読んで下さい。
伏線その3:賀谷主将の宣言
 大宮に離されていた8月、DFの賀谷主将は、ある雑誌に「今年絶対優勝するんだ、という強い気持で戦っていく」と力強く宣言していた。選手には手応えがあったのだ。今年は3年計画の2年目。どうせ、無理。来年昇格すればいいさ、なんて思っていた訳ではなかった。勝利に向けての強い意志がなければ、ボディコンタクトのある激しいスポーツで、勝利していけるわけがない。これを読んだ時、本当にうれしかった。
自分の原点は、ここにあります。44試合のシーズンで、残り15試合くらい、昇格圏内から10点以上離されていた時の話です。誰もが諦めていた頃です。チーム事情は違うが、苦しい時に、一番必要なものは同じだと思います。

■チームが一つになるには、共通の目標がひとつあればいい。
その共通の目標は、「勝利に向けて」、そして、その先の「昇格に向けて」、ひとつになるという事ではないのでしょうか。どうも違うニュアンスの声も強いようですが、勝つことが、勝ちに拘ることが、ポリシーの徹底や、育成の妨げになるのでしょうか。

目標にいたる手段や、評価、サッカーの見方が、千差万別なのは当たり前。それこそスポーツの醍醐味。全面的に信じなければ応援にならない、という人もいるでしょうが、何がしか多少の不満があるのが普通だと思います。結果が出なければ尚のこと。それを封じ込めるでのはなく、受け止め、切替え、何度でも勝利に向けて、みんなで挑む。
もし、試合の前から、勝利は二の次という姿勢を、少しでも出したら、自分にも相手にも勝てません。

■昔から見ていただいている方は、お分かりかと思いますが、私は、監督という個人や、戦術という手段に好き嫌いや拘りは、ありません。しかし、勝ちに拘る気持ちを選手に植え付けず、結果や内容が芳しくなければ、当然、こうして貰いたいとは、言います。
結果に拘るのは、嫌いな戦術を批判するためだろう、というのは邪知です。単純に勝利が好きで、勝ちに行こうとしないのが嫌いなだけです。また、ほかのサポも、バス囲みや集団の罵声が何の役にもたたず、お互い傷つくだけとは、もう分かっているはずです。

監督コーチも、選手を活かし、結果につながるように、当然考えてくださっているとは思います。ただ、何が第一目標なのか、です。勿論、2番目の目標とか、長期的な目標もあるしょう。それらのためにも、勝ち点を度外視する時期ではない、と思うのです。

■勝ち点に拘り、勝利をもぎ取り、時には敗戦から学ぶことで、その先も見えてくる。変わってくれれば、というのは、人を変えろではなくて、まず監督・スタッフ自身がやりかた、考え方を、次ぎの勝利に向けて調整して欲しいということです。評価を今決めるべき時でもないし、方向性を全面的に捨て去る必要もないし、できない。しかし、内容が芳しくないのだから、調整は何かしないといけない。全ては監督が決めることです。実は、少しずつのその方向も出てきたので、巻き返しを期待しています。

■自分は、一試合だけ、たまたま見にきた人、たまにしか見に来ない人にこそ、ベガルタを好きになって貰いたいと思っています。熱心なサポは心臓だが、それでだけではチームは、発展しない。初めてきた人も、勝利に向けての、選手の必死なプレー、勝利に貪欲な采配があれば、たとえ敗れても、また来てくれるでしょう。「今年は修行中だから、勝利は度外視してます、来年来てね」では、せっかく興味を持ってきてくれたお客さん、スポンサーに、あまりも甘えが過ぎるのではないでしょうか。やろうとしたけどできないのと、最初からやらない、では全く違います。

■今まで、何人かの監督が、「あと少し修正が早かったら」、でチャンスを逃しています。長期的戦略の問題は別次元でありますが、直接的には、短期の修正、気付きが遅れたために涙を呑んでいる。何と、もったいない事でしょう。「昇格は目指している。But...」But以下はもうおっしゃらなくて、いい。ひとつの目標に向かって一緒にチャレンジしましょう。

私は、若い選手に昇格の苦労と喜びを、今年に賭けるベテランには最高の思い出を、そして新しくスタジアムに来た人にも、感動体験を味わって貰いたい。一緒に喜び合いたい。そのためには、目標を共通にしてから、一緒にそれを目指す、ということではないでしょうか。


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