選手よりも先に起き上がり、選手よりも後に倒れる

応援する、という事は、支えるということとは違うのだろうか。勝って調子がいいときだけ、うれしい、うれしいと歌い踊るけれども、点を取られるとすぐシュンとなり、負ける度にブーイング、オレは怒っているぞと、わめくだけ。これでは、支えているんじゃなくて、気分次第で歓声を上げたり、自分のストレスに耐えられない事を表現しているだけの存在、闘志の無い選手と何も変わらない。

もし、「お客さん」なら、それでもいいだろう。
お客さんは、調子のいいときしか「応援」しないから、腹が立つと、すぐ「応援をやめる」と言い出すが、それは不可能だ。やってもいないことは、やめることはできない。お客さんは、もともと応援したりサポートしてるのではなく、ただ気持ちのいいことだけ求め、うれしい時だけ周りに合わせているだけだ。お客さんとして楽しみたいだけなら、それでもいい。ただ、尻馬に乗るだけでは、応援しているサポートしているとは言いがたい。厳しいときこそ、選手の力を引き出すために、何ができるか。

たしかに選手の不甲斐ないプレーや、やる気の感じられない試合がある。しかし、そういうへこたれた状態の選手に、「オレもへこたれている」という表明にしかならない、汚い言葉を浴びせても、選手は「俺と同じで弱いんだな。」と、思うだけで、何も胸に響かない。ブーイングも、有効なのは、せいぜい年1回。感情に任せて選手を罵るのは、何もサポートする気のない、お客さんでもできる。苦しいときに応援するのは、けっして選手を甘やかすためではなく、自分に負けない闘志あるサポーターの姿を見せることで、選手を変えるためだ。

もし、選手に闘志なき者は去れと、激を飛ばしたいなら、応援している自分たちが、敗戦のストレスに負けない、闘志あるサポーターであることを見せなければならない。「顔をあげろ。次は勝て。とことん応援するぞ」と、歯食いしばって言えるかどうか。めげずに、戦っている姿を見せる事ができるかどうか。

選手よりも先に起き上がり、選手よりも後で倒れる。
サポーターとは、苦しい時にも選手と共に戦う、12番目の選手じゃなかったのか。非難されない安全な場所にこそこそと隠れて、言いたい放題、楽しいことだけ求める一部の「お客さん」とは、違う存在だと思う。

エラそうなこと言っても、自分もしょっちゅう、へこたれる。しかし、なるべく早く立切り換えたいと思っている。選手にハッパをかけ、共に勝利を勝ち取り、喜びを共有したいから。