広報ご担当に、「ブログ論壇の誕生」

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去年から今年にかけて、次々と著名雑誌が廃刊となり、もともと構造不況といわれる出版業界も、さらに厳しい状況だということです。ここにきて、世界金融恐慌もあって、広告ベースの雑誌や新聞は、益々厳しくなるのでしょう。

さて、そこで、佐々木俊尚氏の『ブログ論壇の誕生 です。タイトルや、宣伝コピーだけ見るとネット「論壇」の力が、ひとつの運動体となって世の中をかえていく、という楽観主義をうたっているように見えますが、読んでみると、そういう主張はあまり感じませんでした。

自分も日頃、だらだらとネットサーフィンをして、薄々感じていたことを、分かりやすくまとめて貰ったという感じ。
たとえば、「水平化」「可視化」。ネットの世界では、「誰が」書いたは問題ではなく、「何を」書いたか、論理的であるかだけが評価の対象となる。そして、一見匿名でバレないとおもった書込みも、誰が書いたかは簡単に明らかになる。ここを取り違えると、思わぬトラブルに会うハメになります。


ネット世界とそれを見る周りの世界の認識のズレを、いくつかのキーワードで解説してくれてますので、特に、40代より上の、企業の広報担当、販促担当の方は読んでおいた方が、よろしいかと。

マスコミ対ブログ、団塊の世代対ロスジェネ世代という、単純化した図式で分かりやすくしようという「記者」スタイルは、やや気になりますが、ポイントをつかむのには、いいのかもしれません。

思わず頷いたのは、マスコミが「情報の編集はプロに任せろ」といっても、ネット上ではそれを誰も期待せず、むしろ懐疑的になっており、ネットの上では、すべての情報は同価値であり、編集や価値判断は、受け手自身が行うことになっている、というところ。

ネット上には、上から目線で、勝手に情報を取捨選択するな、という声が満ちていることを、改めて思い知る必要がある。特にマスコミの方は。

この流れでいくと、企業ブログの炎上を防ぐには、専門家がこういってますとか、社長名で何か言う(これはマスコミ対策としては効果があるが)ということより、素早く情報を提示し、論理的に善後策を示すことが肝要ということになる。逃げずに汗をかいている、ということには敏感に反応するのが、この世界の特徴。

自分の結論を言うと、日本ではブログ「論壇」など、ネットの言説が、身の回りの消費行動、憂さ晴らし的衝動行動などに影響は与えても、より大きな政治的な力を持つ主体には、ならないのではないかと思っています。もともと行動的だったリアルのひとたちの、あくまでも、「道具」に留まるのではないかと。

なぜなら、日本では、論理だけで、人は中々動かないから。リスクを負わない安全なネットの世界にいて、論理で、勝った、負けたとやる分には楽しいが、実際の社会で、重荷を背負って動くには、ネットのテクノロジーだけでは不十分。何かを変えるには、感情の動きが必要で、それを増幅させる装置としてなら、ブログなどが働くことはあると思います。