0と1の間、「ウォーキング・デッド 」

CSのFOXテレビで、前半8話まで放送され中断しているドラマ「ウォーキング・デッド シーズン6 」後半話が、2016年2月15日から放送開始となるようです。

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「ウォーキング・デッド 」を、ご存知の無い方のために、概要を言うと、何等かの軍事作戦の失敗で、生物兵器?がばらまれた、現代のアメリカが舞台。

その結果、死人が食欲だけの「ゾンビ」として甦るようになり、噛まれると、噛まれた人間も同じゾンビとなって、人を襲いまくり、食いちぎって食べまくり、「死なない」。おぞましい地獄絵が、田舎町から都市、国中に広がり、もはや世界の終末。。。

そんな中、田舎町の保安官だった主人公リックと、わずかに生き残った人間達が、あてどないサバイバルの旅を続けるというものです。

こう書くと、スプラッター物、ゲーム的な化け物退治アドベンチャーのように、思われるかもしれませんが、それは面白さの一部分でしかありません。
(いや、その表現も凄く、このドラマを見る前に、モツ煮やソーセージなどは食べないようにwそして、心身共に調子がいい時に、見ることをおすすめします。特に一気見すると、精神をやられますw)

以下、ネタバレあり。

このTVドラマシリーズが、シーズン6まで作られたのは、ウォーカー、アンデッド、バイター、ローマーと呼ばれる「ゾンビ」達より、はるかに恐ろしく、人を絶望に追いやる、生きた、生き残った普通の人間の「本性」を、様々な角度から抉り出しているからでしょう。

主人公達は、まず生き残ることを考える。すると、生き残るためには、人間を選別して、「戦力となる、利用できる仲間」とするか、足手まといとして突き放し、場合によっては殺すことを選択する。ゾンビと戦うだけでなく、つけこんで来る人間とも戦う必要がある。あるいは食料が無い時は・・・。

ゾンビに囲まれた世界では、友情、愛情だけでは生きては行けない。しかし、それがなければ孤独がやってくる。かと言って人間愛を求めると、それを逆手にとった裏切りや、エゴにより、窮地に追いやられる。何が善で何が悪かも、相対化される。

人間って何だ。何のために生きているんだ。人生の意味は。答えは一つではなく、同じ人間にとっても、いつも同じとは限らない。

極限状態を設定することで、日常隠れている、正義感、倫理感、リーダー、エゴ、親子、夫婦、愛情の危うさ、欺瞞を、これでもかと突き付け、視聴者に、正解を示すのではなく、本質とは何か、問題を立てよと、迫ってくるのです。

多くのドラマでは、作者の意図が分かるように、あるいは納得できるように作られ、見る側もそれを感得したり、解釈したり、謎解きしたりして楽しむのですが、このドラマはストーリー的には、それなりのエンディング、あと味悪くても決着を見せますが、それは通過点であって、答えはないです。

勿論、作品的にオチは、いずれつけるのでしょうが、アメリカで高い視聴率を誇っているのは、この「自分で問題を設定せよ」、としている部分だと、私は思うのです。

その表れかどうか、主人公の周囲のメインキャラクターが、次々死んで、あるいはゾンビになってしまう。また、おとなしい主婦が、どんな「仲間」であろうと、その殺人も厭わない冷徹な兵士となり、暴力的な、ならずだった者が実はやさしさを見せ、そのために窮地に陥る。

さすがに主人公は消せませんが(たぶん)、予定調和を、極力排しています。

思うに、およそ人間に関することは、1か0かで、分別できる事の方が少なく、その間に無限のバリエーションがあると思われます。しかし、それらをひとつひとつ検討していては、脳が持たない。そこで、型に嵌め、少ない数に分類する。

ただ、もし、普段、無視し、捨て去ってる事の中に、重要な本質の何かがあるとしたら?

与えられた解法の答えを探るのではなく、問題設定自体を自分で作らないと、見えてこない。

その言いよう無い不安定感。緊張と弛緩の繰り返し。スプラッターの怖いもの見たさに加え、このドラマを長くても、面白くしている点だと思います。


さて、シーズン5では、新しい視聴者のためか、キャラクター紹介のような回が多かったですが、シーズン6になって、再びゾンビは喰いちぎり、迫ってくるし、人間の弱さ、正義にかこつけたエゴの剥き出しなど、状況設定もえぐぐ、パワーアップしています。後半話も楽しみです。

⇒「ウォーキング・デッド シーズン6